私が酒田・鶴岡での家づくりにこだわる理由
改めましてこんにちは、コスモホーム代表の柿崎圭介です。
私自身、紆余曲折を経て2000年8月の創業を機に、この酒田・鶴岡の地で「スタッフ各々の能力・個性を最大限に発揮して、お客さまの夢を叶える会社であり続けたい。仕事を通じて地元に恩返しができる会社になりたい」と願っています。
このページでは、ご挨拶もかねて、まずは、私“柿崎圭介”の…
ひいては“コスモホームの家づくりのルーツ ”を知っていただければと思います。
少し長くなりますが、引き続きお読みいただければ幸いです。
■寒くて暗い庄内の冬
皆さんもご存じのとおり、庄内の冬は長く厳しいものです。
私が小さかった頃は、冬は雪囲いで家の中が真っ暗になり、昼間でも電気をつけなければなりませんでした。空はどんよりと曇り、いつもどことなく暗い感じがありました。
幼稚園の頃、東京オリンピックが開催され、明るく華やかなイメージが幼心に強く残りました。中学一年生のときに、学校で市川昆監督の『東京オリンピック』という映画を見たのですが、建築家・丹下健三氏が設計したオリンピック会場の代々木第一体育館がとても大きく感じ、建物の中にいる人間の存在が小さく感じました。同時に、その人間がそれらを創りだしていることに人間の大きさをも感じました。東京=建物というイメージが結びつき、東京への憧れがそのまま建築への憧れとなりました。
また、幼い頃から交流のあった洋館に住む外国人の暮らしにも影響を受けました。当時の日本では珍しいパネルヒーターによる全館暖房のおかげで、冬でも暖かく、快適に過ごすことができるのです。朝からコーヒーの香りが漂う明るくゆったりした住まいは、まるで別世界のようでした。日本にはない豊かな暮らしがそこにはありました。英語への憧れと共に、暖かく快適な住まいへの憧れが芽生えたのでした。
■いざ憧れの東京へ
芝浦工業大学工学部建築工学科に進学と同時に上京、憧れの東京での生活が始まりました。
いざ大学に入ってみると、自分は大きなビルや公共の建築物を建てるようなイメージじゃないと感じました。大学には設計・環境・構造・材料の4つのゼミがありましたが、私は環境やソーラーシステムの研究を選びました。
卒業後はゼネコンに就職、ビルや公共建物の現場管理を任されました。現場から現場を渡り歩く日々で、3ヶ月間泊まり込みで仕事をすることもありました。アパートに帰っても寝るだけで、プライベートな時間はほとんどありませんでした。東京はとにかく人が多く、みな仕事に追われている。たまに来て遊ぶにはいいけれど、長く住むところではないと感じ、3年後、庄内に戻ることを決めました。
■夢破れて……
地元では、建築とはまったく縁のない食品関連の会社に就職しました。友人や知人から建築関係の仕事の誘いもあったのですが、「もう建築の仕事はこりごり」という気持ちがありました。新しく入った食品関連の会社では、社長の下で経理・営業・管理の仕事を任されました。経営者の下で仕事をするのは初めての経験で、お金のことや経営のことなどとても勉強になりました。当時の社長には、とてもよくしていただきました。
しかし、時代はバブル全盛期。どこか「何かが違う」という違和感をぬぐえませんでした。「自分にしかできないことは何なのか?」と突き詰めていったとき、「やっぱり建築がやりたい!」という答えに辿りつきました。とはいえ、建築の仕事から離れて久しく、一級建築士の資格もありません。10年も勤めて、今さら「辞めます」というのもおかしな話です。
■胸を張っていけるように
色々と悩んだ末、出した結論が「きちんと資格を取って、胸を張って建築の道へ戻ろう」ということでした。実は以前も一度チャレンジしたことがあったのですが、失敗してそれきりになっていたのです。そこで結婚を機に一念発起し、仕事をしながら一級建築士の資格取得を目指しました。
休日に酒田から秋田まで2時間かけて専門学校まで通い、勉強をつづけました。1年目は学科は合格したものの、製図試験に落ち、次でダメだったら諦めようと背水の陣で挑みました。2年目にようやく資格を取ることができ、気づけば息子は1歳になっていました。晴れて社長に会社を退職したい旨を伝え円満退社することができましたが、それでも社長には申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
■ふたたび建築の道へ
翌春、職探しを始めました。建築士の仕事として考えられるのは、設計事務所、ゼネコン、住宅会社が主な働き口です。大きなビルの設計は肌に合わないことを大学時代にすでに感じていたし、もうゼネコンには戻りたくありません。未経験ではありましたが、住宅会社という選択肢が現実味を帯びてきました。
そこで知り合いの不動産屋さんに住宅会社を紹介してもらい、働くことになりました。初めて木造住宅に携わるようになりました。また建築の仕事に携われることが嬉しくて、とにかくガムシャラに勉強し新しい知識を仕入れていきました。木造住宅は初めてのことだらけでしたが、まるで水を得た魚のように新しい仕事をどんどん覚えていきました。
■理想と現実のはざまで
あるとき、真冬の寒さが厳しい地域の内覧会で、大きな窓と広々とした吹抜けの、明るくて暖かい家を見てびっくりしました。子どもの頃に住んでいたような、田舎によくある「狭くて、暗くて、寒い家」とは大違いでした。幼い頃に見た外国人の洋館での暮らしを思い出しました。「こんな家が作れるのか?」と驚きにも似た気持ちでした。「自分もあんな家を建てたい!」しかし、社長からは「すごいことはわかった。でもコストがかかるから、ウチには合わない」と却下されてしまいました。会社の家づくりの方向性とは、真逆の家だったのです。
注文住宅が主流だった当時、企画住宅というのは新しい試みでした。社長に言われて岡山まで勉強しに行ったりしていました。当時の仕事は現場管理がメインで、数十棟みることもありました。設計は外部の設計事務所に任せ、自分はキッチンやお風呂などの設備を決めたり、色を選んだりするだけでした。あとはひたすら現場の管理。社長に「庄内にはこういう家がいいんじゃないでしょうか」と提案しても、とにかく棟数を増やすことが先決と、まったく話がかみ合いませんでした。
■思いきって独立したものの……
「こうなったら自分でやるしかない」そう思った瞬間、社長に「会社を辞めます」と言っていました。
もう後には引けません。そのときはまだ、「独立する」というのがどういうことなのか、よくわかっていませんでした。「コスモホーム」という社名は、親戚が仙台で「コスモグリーン」という会社をやっていて、コスモ(宇宙)という響きが気に入ったのと、コスモは「コスモポリタン」に通じ、つまり一人の地球人として家づくりに携わりたいという思いからつけた名称です。
後先考えず半ば勢いで独立してしまったので、創業間もない頃は仕事が全くなくて苦労しました。いきなり新築は難しいのでまずはリフォームから始めようと思い、リフォームのチラシを作って、親戚や友人・知人宅を中心に飛び込みであちこち回りました。玄関先で犬に吠えられることもしょっ中。冬は日が暮れるのが早く、真っ暗な中を訪ねて断られるのは本当に切ないものでした。知り合いが「上がってお茶飲んでいきなさいよ」と言ってくれることのなんとありがたいことか! 話を聞いてもらえる幸せ、仕事がとれるありがたさを身に染みて感じました。
その後、スタッフが知り合いから仕事をもらってきてくれてどうにか持ち越すことができました。
創業当初は、仕事を取ることもしかり、人を使うこともしかり、とにかく何をどうすればいいかわからない。どう取り組んでいいのかもわからず、闇雲にあがいているという状態でした。悩んでもあまり先に繋がらないことが多かったのです。毎晩、眠れない夜が続きました。
■少しずつ夢が現実に
新しい会社は、大量生産ではなく、お客さまと一棟、一棟、じっくり家づくりをしたい。自分たちが目指す断熱がしっかりした暖かい家づくりをやろう! と希望に燃えていました。「売る」のではなく、一緒に「つくる」、お客さまのための家づくりをご提案できる、そのことがすでに大きな喜びでした。
会社を始めて間もない頃に担当したお客さまで、ありきたりのプランでは満足せず、何度もプランを修正したお宅がありました。お引き渡しの時、そのお客さまから「社長、握手してください」と言われ、驚くやら嬉しいやら、すごく感動しました。自分の仕事をありがたいと思ってくれている人がいる。お客さまとの握手はとてもあたたかく、人の温もりを感じました。
また、あるお客さまは「この階段がお気に入りなので、わざわざ2階のトイレに行くのよ」なんて言われると、本当に嬉しくなります。お客さまと話をして、その想いをカタチにして伝えることが私たちの仕事です。それぞれのお客さま、一人ひとりのために作っているので、こうして喜んでもらえることが、何より嬉しいのです。
■支えてくれるお客さま
あるとき、新築して数年たったお客さまのお宅に伺う機会がありました。台風が来て雨漏りしてしまい「様子を見てください」と呼ばれたのです。翌年、また同じお客さまのお宅で雨漏りがおき、修繕に伺いましたが、「新しく建てたのに、なんで雨漏りするの!」と、とてもお怒りでした。その時は、とにかくお詫びするしかありませんでした。
この前、同じお客さまから「コスモさん、薪ストーブやってるよね。薪にちょうどいいケヤキの木がいっぱいあるんだけど」とお声をかけて下さいました。あんなにご迷惑をかけたというのに。建物と関係ないことで声をかけて下さったということも、嬉しく思いました。
■“期待を裏切る”家づくり
経営は人、会社も人が大事です。
家づくりを通して、お客さまや社会に貢献できているか。社員が仕事を通じて成長できているか。家づくりを通して、お客さまも社員も幸福であるように、常にその視点を忘れないようにしています。
コスモホームが理念として掲げているキャッチコピー「“期待を裏切る”家づくり」、とても重い十字架であると自覚しています。ある意味、茨の道かもしれません。でもそこを突き進んでいかないと、お客さまも、社員も、幸せにはできない。だから覚悟を持ってやり遂げたいと思います。
■人と技術と設計と
大学の専攻も環境でしたし、オモテから見えない部分ではありますが、断熱には実は非常にこだわっています。難しい話は抜きにして「暖かい家」という点については、安心してお任せいただきたいと思います。
経営者としてだけでなく、設計士としてお客さまのお宅の設計・施工管理も行っていますが、設計の仕事はとにかく発想が命です。設計には特に力を入れているので、感覚を鈍らせないよう何かヒントになるものはないか、新しいアイデアはないか、常にあちこちにアンテナを張るようにしています。
社員からはよく「社長は断熱がやりたいの? 設計がやりたいの? コストを重視したいの? 何がやりたいの?」と聞かれます。欲を言えば、どれも譲れない。全部やりたい。卵が先か鶏が先か、そんな議論をしている時間はない。バランスよくやっていかねば、誰も幸せにはできない、そういつも胸に刻んでいます。
結局は、お客さまのために「ああでもない、こうでもない」ってやっていることが、楽しくて仕方がないんです。技術屋の性ですかね。その楽しさをお客さまや社員たちと共有していきたいです。
■息子に誇れる仕事を
我家の長男が、同じ進路を選んでくれました。そのことが親として何より嬉しいです。高校時代、進路希望にずっと「機械科志望」と書いていた息子が、あるとき「一級建築士ってスゴイね」と言い出したのです。親父の仕事をなんとなく気にし始めたのだと思います。
高3で志望校を決めるのに迷っていた息子に、「機械科でもいいよ。でも行くならどういう方向に進みたいか考えておけ。あれもこれもはできないから。どうせやるんなら一芸に秀でろ。何かでプロになれ。どんな道を選んでも、お父さんは応援するよ」と伝えました。彼なりに色々と考えて建築の道を選びました。このときほど、自分の仕事を誇らしく思ったことはありません。
■これからのコスモホーム
色々な会社を回ったけれど、いま一つピンと来ないまま、コスモホームに来て下さったお客さまが「あ、見つけた!」という感じのキラキラした目を見ると、私もワクワクしてきます。ようやく出会えたお客さまの夢を、デザイン、性能、住み心地というカタチあるものにしていくことが、私たちコスモホームの仕事です。お客さまの「あんなこともしたい」「こんなこともしたい」というワクワクを一緒に感じ、受け止めつつも、プロとしてさらに一段上をいくご提案をしたい。
社員各々の能力・個性を最大限に発揮して、お客さまの夢を叶える会社であり続けたいのです。
社員が誇りを持って仕事ができる会社としても、成長していきたいですね。「“期待を裏切る”家づくり」―覚悟を持って、お客さまも、社員も、みんなが幸せになれる家づくりを、徹底して行っていきます。
また地域に根差した会社として、地域の木材を積極的に使ったり、さまざまなかたちで地域に貢献したりと、仕事を通じて地元に恩返しができる会社になりたい。「酒田にコスモホームあり」と言われるような会社になりたいですね。
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ここまでお読みいただきありがとうございます。
末筆ではございますが、お客さまの家づくりが安心で、
幸せなものになりますよう、心からお祈り申し上げます。
コスモホーム有限会社
代表取締役 柿崎圭介